【報告】情報共有会「令和6年能登半島地震被災地の今―活動報告・わたしたちにできることー」
日時:2024年3月18日(月)18:00~20:30
場所:みえ県民交流センター ミーティングルームA・B(オンライン併用)
参加者:95名(会場30名/オンライン52名/ゲスト・スタッフ13名)
三重県内のいくつもの団体が能登半島地震被災地の支援活動を行っている。本企画では被災地支援を行っている団体からその状況をお聞かせいただき、私たちに何ができるのかについて考える場をもった。また、第2部に情報共有会議を行い、今後被災地支援に行くことを考えている方との意見交換を行った。
第1部では、開会のあいさつ、みえ災害ボランティア支援センターの活動状況の報告、その後、NPO3団体、三重県社会福祉協議会、三重県災害対策推進課から被災地支援の報告を行った。
伊勢志摩まちづくり団体 楽笑 代表 岩城 ひろこ氏
発災後は情報収集や共有を行い、支援物資を集めた。車に積めるだけ支援物資を詰め込んで1月6日に現地に出発した。当初は支援物資を届ける活動と考えていたが、七尾市を拠点に能登町の避難所での炊き出しを行うこととなった。道路状況が悪すぎて、1食の炊き出しに行くのに1日かかった。避難所の担当者と話をして避難所に宿泊をさせていただき、食材を2日分車に積んで、朝と昼の食事を1泊2日で作る活動を1月頭はしていた。
岩城さんは「避難所の皆さんに受け入れられないとこの活動はできない」と話す。
今は能登町の子ども達の昼食用の炊き出しを行っている。2ケ月続けている。三重県やつながりのある宮城県の方に日々野菜を運んでいただき、基本、毎日のように炊き出しをしていた。
今、能登町では9か所、輪島は3か所で炊き出しをしている。9カ所に行くとなるとメンバーが必要である。2人ずつ行っても18人は必要である。「人の確保が難しい」と話された。
NPO法人HOME 代表理事 花井 幸介氏
1月1日発災後すぐに個人のインスタグラムを支援アカウントに変え、支援活動を始めた。1月7日には地元スーパーなどが靴下など日用品、支援物資を提供し、8日に内灘町に運んだ。その後、内灘町役場から連絡があり、食事と物資の支援をお願いしたいと言われ、継続的に内灘町の支援をしている。
集めた支援物資を1か所にまとめて、「0円スーパー」という形式で被災された方が好きなものを持っていくという催しをした。現在も役場が主催で行っている。
内灘町の社会福祉協議会の方に言われたことが「支援物資が全く足らない」であった。2月25日時点でまだまだ足らない状況だった。支援物資を集める活動をしているが全然集まらない。支援金も2月25日時点で50万円ぐらい集まっていたがその後止まった。「継続的な支援が非常に厳しい状態である。」と話された。また、炊き出しはだいぶ落ち着いてきていたが、今懸念していることは栄養バランスだと言う。避難されている方は高齢者が多い。しかし、避難所にはカップ麺やレトルト食品、防災用の水を入れたらごはんになる食材が山ほど積んである。栄養バランスがとれるもの、温かいものがほとんどない。「高齢者の方が好むもの、食べやすいものを提供したい」と話された。
DRT-JAPAN三重 代表 山本 俊太氏
プロボノとして専門技術や生業を活かした支援活動をしている。建設業を営んでおり、重機などを動かす資格を取る教習センターの教官、指導員もしている。
1月1日の発災時は長野県にいたが、志摩市にすぐに戻り、身支度をして現地に行った。最初のミッションは、のと里山空港に取り残された人を救出することであった。観光バスが迎えに行ったが、道路状況が悪くバスが進入できない。バスをなんとか空港に向かわせたいと連絡が入り、道路障害の撤去や通行可能路への誘導などの作業に向かった。
土木や解体の工事を行うのではなく、珠洲市では人命捜索や孤立集落への道路啓開から始まり倒壊した家屋の中からの貴重品の取り出しや、車庫で押しつぶされた車の取り出しなどを行った。人力では無理な作業、重機が必要な作業をしている。支援活動は福祉の観点から作業をしている。住民から依頼として「正月でお金をおろしカバンに入れたまま家のどこにあるかわからない」「車のカギがどこに飛んでいったかわからないから車が出せない」。などの困りごとに対応をしている。月1で現地に滞在し、かなり厳しい現場を担当している。現地事務所には「ヤマキさんニーズ」が貼ってあり、現地に行った際に作業をしている、と話された。
三重県社会福祉協議会
佐藤 克哉氏(ボランティアセンター センター長)
三重県社会福祉協議会は、大きく分けて2つ支援活動を行っている。1つが輪島市社会福祉協議会の支援である。ボランティアセンターの運営支援も含まれている。もう1つは、令和2年度に発足された災害時の福祉専門職チームのコーディネートである。
社会福祉協議会にはブロック派遣という仕組みがあり、各地で災害が起きた際に県及び県内市町の社会福祉協議会の職員を派遣している。今回は輪島市の社会福祉協議会への支援となり、地域訪問をし、各世帯の困りごとを聞くという活動をした。しかし避難されているため不在の方が多かった。内容は、水道が通っていないため水に関することが多かった。石川県のボランティア派遣がされるようになってからは、ボランティアに助けてほしいというニーズが増えている。困りごとを聞き取った住民の状況を共有するため、地図に記載していった。
関根 正樹氏(福祉研修人材部介護支援専門員試験・研修課 課長)
ほとんどの都道府県に一つ災害派遣福祉チーム(DWAT)があり、全国での調整を経て、計画的に被災地に入っている。DWATには一定の研修を受講した専門職が登録されている。そのメンバーと石川県志賀町の避難所で生活している方の福祉支援ニーズの聞き取りを行った。ニーズを聞き取り適切な団体や組織につなげることが主な役割である。相談支援、環境整備、生活支援、福祉ケアが活動のミッションである。
2ケ月間多くの人が支援に入り、同じことを何度も聞かれてしんどかったという声があった。そのため、積極的に話を聞いたり、調査をしたりはしなかった。根掘り葉掘り聞くのではなく、普段の会話から少しずつニーズをひろうことをコンセプトに活動をしてきた。
仮設住宅も建設され、引っ越しも始まっている。仮設住宅ならではの福祉ニーズも出てくる。現在、三重県DWATは輪島市の避難所を支援している。要配慮者のフォローや、新しいニーズに対応できるように活動を進めている、と話された。
三重県 安立 拓実氏(防災対策部災害対策推進課 企画・体制整備班)
1月1日に発災し、1月2日に金沢にある石川県庁に職員を派遣した。石川県庁で情報連絡員として情報を集める役割を担った。奥能登はどうなっているのか、道はどうなっているのか、どのくらい被害がでているのかといった情報がなかったため、情報を得ることが重要な役割であった。それ以降、三重県は、石川県の中では被害が大きい地域の一つである輪島市を対口支援、カウンターパートとして活動を行っている。1月から今に至るまでは避難所の運営支援に人を派遣している。
私は直接避難所に入るのではなく、避難所を運営する人の調整をした。輪島市の被害が大きく、三重県の支援だけでは困難であった。他都道府県や市が入って支援を行っていたため、他県や他市の対口支援団体の調整をしていた。
今も避難所の数が約50を超えるぐらいあり、幅広い支援が必要な状況である。少しフェーズが変わってきており、発災して倒壊した建物の廃棄物をどうするか、応急仮設住宅を今後どうしていくのか、被災地の被害認定調査をどう行うのか、といった支援を要している。形を変えながらの支援が必要である、と話された。
その後、参加者のなかで、被災地支援に行かれた団体、天理教災害救援会ひのきしん隊、三重県鍼灸師会、三重県司法書士会、東員町商工会青年部、そして個人ボランティアとして参加された方から、どのような活動をされてきたのか、情報提供いただいた。
第2部は情報共有会議とし、今後、被災地支援を行う予定の方の支援内容等の情報提供を行った。最初のゲスト3団体から今後の展開についてお話いただいた。
NPO法人HOMEの花井さんは、「内灘町を中心に食事支援を続ける。栄養面と食事のしやすさを大事にした食事を提供する。手厚い福祉の目線で向き合っていきたい。そのための物品や物資、資金を支援していただきたい、一緒に活動をしてくださる方を募りたい。また預かった支援物質は必ず現地に届ける。」と話された。
DRT-JAPAN三重の山本さんは、「被災者の方からしたら、僕らは『希望』である。その代わり、僕らの一言ひとことや一挙手一投足で『絶望』にもなる。今は皆さん疲れきっている。その中で選択肢が限られている。解体だけではなく、直せる建物があるのだったら改築して住めるのではないか。車もボロボロで廃車に近いような状態だけど無いよりまし、一旦走れるようにしませんか、そういう話をする。1つでも多くの選択肢を提案する。解体する、捨てると決めるのは後から被災者の方がゆっくり決めればよい。ただ、今は心にも余裕がなくその選択肢が一つしかない。その状況をどうにかして打破したい」と話された。
伊勢志摩まちづくり団体 楽笑の岩城さんは、「輪島市の教育長から5月末まで昼食をどうにかしていただけないかと話をいただいた。しかし、輪島市で続けていくためには、現地に拠点があり、きちんと野菜が運びこまれることである。なんとかできる道を見つけたい。避難所の炊き出しは今もニーズがある。仮設に移ったり、自宅にいるとしても自分で買い出しに行けなかったりする方は多くいらっしゃる。今後も炊き出しは続けていきたい。一緒に行っていただける人がいたらありがたい」と話された。
会場からは、すでに支援活動をされた方から、「現地でつながった人たちのつながりを大切にして支援を続けたい」「無理のない範囲で支援に行きたい」「ボランティアバスは出ないのか」といった声があった。
MVSCのセンター長である山本さんから、バスを出すには費用と移動時間が掛かり、市町で参加を呼び掛けた方が集まりやすいため、ボランティアバスを出す予定がないことを説明した。さらには、MVSCとして、支援に行く予定のある方、行きたいと考えている方への情報提供や相談、支援地域や支援方法などのアドバイスをする旨が話された。
最後に、「被災地の復興には時間がかかると思う。だんだん被災地のことが忘れ去られていくように思う。そうならないように、自分事としてとらえ、一緒に頑張りつづける関係を作っていきたい。今日集まった100名近くの方々とつながり続けながら、活動をすすめたい」と話し、会を閉じた。